2019年09月06日

照明30周年/その3

【2019年9月3日のブログ、照明30周年の続き】
照明に長年携わることになった話しです。


[バブル崩壊とヤマギワ退職]

照明会社ヤマギワに勤務していたのは、ちょうどバブル真盛りの時でした。
会社は売り上げがぐんぐん伸びていて、決算ごとに最高売り上げを更新していました。
新しい店舗は続々と開店するし、照明の部門も大量に商品を開発するし、新製品発表会を新宿NSビルのイベントホールで大規模に行い、総合カタログは写真集みたいに贅沢な装丁でした。

そんな時代も終わりを告げます。バブルは弾けて、会社の業績は一気に下降します。ヤマギワにもリストラの嵐が吹き始め、デザイナーもその対象になりました。実績のある先輩達が、店舗や営業に転属されてしまいました。実績のない私ではありますが、何とか開発部には残ることはできました。(当時は若くて給料も安かったからでしょう)
しかし、新しい開発部は、ヨーロッパからの輸入品を日本で販売する為の仕様変更が主な仕事でした。
私は、オリジナルのデザイン開発の仕事がしたかったので、ここで会社を辞める決心をしたのです。



[照明のデザインの事務所へ転職]

退職して間も無く、会社の先輩が興したデザイン事務所のスタッフとして勤めることになりました。
そこは照明のデザイン事務所なんですが、照明器具のデザインはほとんどしないんです。何の仕事がメインかというと、マーチャンダイジング関連の業務でした。企業が商品開発をする際に役立つ情報を調査し、整理して提供するのが仕事です。
その業務の為に、何冊もの分厚いカタログからコピーを取り、大きな紙に切り張りして、アイテム数や機能等を調査しました。プレゼンでは数値を表にしたり、それに考察を加えたります。
新聞やビジネス書や専門書から得た情報を整理してトレンドを抽出したり、提言をまとめたり。。。
「ここ、デザイン事務所なの?」って感じでしょ。
照明には関連はしていたけど、器具意匠や配灯とかのデザイン事務所ではなかったのです。
調査の為にアメリカの西海岸とニューヨーク近郊のショッピングセンターも見にも行きました。レンタカーに乗って。

器具のデザインはしなかったんですが、この経験が今に役立っています。
それまで、商品の背景をあまり深く考えないでデザインをしてきたんだけど、ここで得た知識のおかげで、ただ「おしゃれ」や「カッコイイ」「美しい」だけを考えるデザイナーではなくなっていました。
このことも私が幸運だったひとつの経験です。
しかし、今思えば当時ワープロはあったけど、パソコンが無かったんですよ。 よくあんな面倒な手作業をしていたものです。


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上記の資料は、当時のダウンライトを調査した時のものです。
数値を比べたり、競合品を並べると、いろいろ見えてくるんですよね。
posted by 代表 at 13:21| 照明器具

2019年09月03日

照明30周年/その2

【2019年08月28日のブログ、照明30周年の続き】

照明に長年携わることになった話しです。

きっかけは、デザイン事務所から照明の会社・ヤマギワ(株)への転職ですが、入社当初は全く使い物にならない、ただ会社に来てるだけの社員でした。
中途採用だったので、他の新入社員のような新人教育は受けなかったし、そもそも照明器具に興味が持てなかったし。
最初の数週間はプロジェクトが本格的にスタートしていなかったのもあって、仕事が少なく、残業も無い。 
なので、秋葉原の電気街を見ては楽しんでました。
特にリビナ本館には、素晴らしいデザインアイテムが並んでいました。
ここは、学生時代から機会があれば見に来ていた店なのです。
そんなことをしているうちに、ようやく商品の開発が始まり、私も自分の仕事を持つようになりました。


[台湾の工場へ]
私が最初に配属されたのが、台湾をはじめとする東南アジアの工場で生産をするという新規の事業部。
価格を低めに設定した新ブランドを立ち上げて、その製品は主に海外で生産をするというもの。
私の担当は照明器具の生産管理。 製造を委託する台湾の工場へは何度も行って、何日も滞在してきました。
照明のことも、その技術的なこともほとんど知らない状態で最初は戸惑いましたが、それでも日本と台湾を行き来する間に徐々に慣れてきて、翌年にはデザインから設計までできるようになりました。これも工場にずっと張り付いて勉強したことと、ヤマギワの品質管理部や研究所の先輩達にご教授いただけたことのおかげです。 


[新ブランド y3・ワイスリー]
店舗用の照明器具のブランド。
ブランドの意味は、本来のヤマギワオリジナルの商品が最上級の「五つ星」と設定し、それよりは下の「三ツ星」ということだったような。。。
今思えば、三つ星だって大変なことだ。
でも、このy3ブランド、3年くらいで消滅しました。
安易に寄せ集めた品揃えが失敗の主な原因だと私は思っています。それと社内の理解不足も。
今では一般的なアジアでの生産を継続できなかったことは、大変残念なことです。


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(ワイスリーのロゴマーク/ブラックバージョン)


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[ヤマギワ、ワイスリーカタログ・インテリアライティング編/平成元年8月1日 発行]


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[ヤマギワ、ワイスリーカタログ・テクニカルライティング編/平成元年8月1日 発行]


短期間で終わってしまったプロジェクトでした。
それでも私は、ブランド名やロゴマークの製作から、商品化、カタログ作り、クレーム対応まで、ひと通りに携ることが出来て、短期間にとても多くの勉強をさせてもらいました。
デザインワークからでなく、技術的なことから始められたのも幸運でした。
これも会社の本体から独立した新規事業部に配属させていただいたおかげです。
この時の経験が現在のデザインの仕事に大いに役立っているのです。

しかし、この時点では、まだ照明をそんなに好きではありません。
このプロジェクトが終了してからヤマギワ本体の開発部に配属されてから徐々に変っていくのです。
posted by 代表 at 21:23| 照明器具

2019年08月28日

照明30周年/2019年8月


2019年8月も終わり。
ふと思い出したんだけど、私が照明に携ってから、今月でちょうど30年が経ちました。
そこから今現在に至るまで、ずっと照明の仕事を続けてます。
当時は照明器具にはまるなんて、これっぽっちも思っていなかったんだけど。

そのきっかけになったのは、照明会社・ヤマギワへの入社。
デザイン事務所から、メーカーへの転職でした。
自分としては、デザイン事務所の方が様々なデザインが出来るのでいいと思っていたんだけど、あこがれていた先輩について行く感じで、入社することになりました。
その時、私24才。バブルの真只中。

それからいろいろあって30年が経ち、未だに飽きずに照明の仕事をしています。

まだまだ続けるつもり。
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ここで、駆け出しの頃・ヤマギワ時代に携わった、特に想い出のある2シリーズをご紹介。


[JACK IN SYSTEM]

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[1992年_ヤマギワ_ジャックインシステム・カタログより]


本格的に開発に参加したのは途中からだけど、単品のカタログや販促ビデオの製作もさせていただいて、大変良い経験になりました。
新製品発表会で、ヤマギワ福岡店に行ったのも良い想い出。
新宿のリビングデザインセンターOZONEさんやイルムスさんに多くの台数を設置してもらってたんだけど、まだあるかな?


続いて、
[MOOM/ムーム]  デザインは黒川雅之さん

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[1993年_ヤマギワ_総合カタログより]


これは製品化の作業から引き継いだもの。
ポール灯の担当は初めてだったので、一から勉強をしながらの製品化でした。
実寸の発泡モデルを作って黒川先生にプレゼンしたりして、ワクワクしながらの作業でした。

商品撮影も全て立ち会いました。黒川先生が設計された建物のあるゴルフ場まで行って撮ってきたんですよ。
単品の撮影は、神田にあるフォトスタジオで。
白・黒・シルバーの3色展開だったんだけど、モノが一つしかないので、私がスタジオの外に出て、カラースプレーで塗り直しての撮影でした。
撮影が終わった時は、外が明るくなってました。
(今ならパソコンで色を変えられるのにね)



どちらのシリーズも1992年の発売。
既に販売はしていませんが、今だって通用するデザインだと思いますよ。(LED化して)

こう思い返してみると、小規模なプロダクトデザイン事務所から照明の会社に移れて幸運でした。
それもヤマギワというデザインに秀でた会社に。

好景気という幸運も重なって、とても濃厚な経験をさせていただきました。
これが私が照明好きになった理由のひとつです。

他の理由の話になると更に長くなるので、今回はこれで終わります。
お付き合い、ありがとうございました。
posted by 代表 at 20:28| 照明器具